【イギリス史】VS無敵艦隊!処女王エリザベス1世のジャイアント・キリング
「物流やインターネットの発達によって、日々の暮らしの中で世界各地の物や情報、文化に容易に触れることができるようになった今、改めて「世界史」を学び直す方が増えているそうです。
“何であの国とこの国はいつも対立しているのか”、“どうしてあの場所では何度も紛争が起こっているのか”、“何故こんな面倒な規制があるのか”……こうした疑問や矛盾を紐解き、その背景に潜むものを見出すためには、まずはこの世界がどのような歴史を歩んできたかを学ぶことが重要です。
そこで、この【アートで世界史!】では、大学で歴史学を、大学院で芸術学を学んだ“クロスボーダー(越境)研究者”の筆者が、名画を楽しみながら同時に世界史の知識も身につけられる「一度で二度美味しい」記事を配信していきたいと思います。
それでは、早速今回の作品を見ていきましょう。
【Check1:この人物は誰?】
この方は、現在のイギリスの一地域であるイングランド(※)の女王・エリザベス1世(1533年~1603年)陛下です(※便宜上、この記事では以下イギリスと表記します)。
彼女はイギリスの人々が今なお愛してやまない君主で、その人気ぶりは日本で言うところの織田信長のようなものといえるでしょうか。ちなみに、エリザベス1世と織田信長(1534年~1582年)は一歳違いです。西の果ての島国と東の果ての島国で、ほぼ同時期にこれほど強力で個性的な支配者が誕生していたなんて……何だか運命的なものを感じませんか?
肖像が描かれたのは1588年ごろなので、この頃のエリザベス1世は50代ということになります。
え? 50代でこの大量のリボンやフリルはちょっと若作りすぎやしないかって? ご心配なく、この時代のヨーロッパでは、おばさんもおばあさんも、何ならおじさんだってリボンやフリルをつけるんです!
むしろリボンやフリルが女の子や若い女性のもの、と無意識に想定してしまう現代日本人の感性のほうが、当時のヨーロッパの人々よりも不自由で偏ったものなのかもしれませんね…。
話を戻しまして、このエリザベス1世という女王は「自分は国(イギリス)と結婚した」として、生涯独身を貫き子どもを作らなかったため、「処女王(ヴァージン・クイーン)」とも呼ばれています。今回の作品を含め、エリザベス1世は肖像画においてしばしば「真珠」を身につけた姿で描かれていますが、これは真珠が処女、純潔であることを象徴するモチーフだと考えられているためです。
また、首元には「ラフ」という精緻なレースの襞襟(ヒダエリ)が描かれていますが、このラフはエリザベス1世が愛用していたことから「エリザベス・カラー」と呼ばれるようになります……犬や猫を飼っていらっしゃる方ならピンときたのではないでしょうか? 傷口を舐めないようにするための、首にぐるりと着けるあの保護器具は、ここからその名前がついているんです。現代でも様々なところに「世界史」と繋がるものが溢れていることがわかりますね。
【Check2:この人、なんで地球儀に手を置いているの?】
15世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパは「大航海時代」と呼ばれる時代に突入していました。羅針盤や快速帆船などの技術革新によってより遠くまで航海をすることが可能となり、ヴァスコ=ダ=ガマ(1469年頃~1524年)やコロンブス[コロン](1451年~1504年)らによってインドやアメリカ大陸までの新航路が続々と発見されていきました。エリザベス1世の生まれるおよそ10年前には、マゼラン[マガリャンイス](1480年頃~1521年)が世界周航に出発し、彼は途中で亡くなったもののその部下たちが見事“地球一周”を達成しました。
けれども、大航海時代の初期から彼らのような航海者たちに多額の援助をし、到達した土地との貿易で莫大な富を得ていたのはポルトガルやスペインで、イギリスはというと海洋政策においてはこれらの国々から一歩出遅れた存在でした。
そんなイギリスの女王が地球儀に手を置いている……これは自らの国際的な地位を誇るとともに、そのものずばり世界を手に入れんとする彼女の野心を示しているものだと考えられますが、しかしながら当時はまだブリテン島の一部を支配するだけの小国にすぎなかったイギリスの女王が、何故これほど“超強気”なポーズを取っているのでしょうか?
その理由は、次の項目で解説していきしましょう。
【Check3:右の窓の外……今にも船が沈みそうだけど大丈夫?】
エリザベス1世の背景にある二つの窓には、実に対照的な光景が描かれています。
まず、向かって左の窓の、晴れて穏やかな海を航行しているのは、白地に赤十字の旗がたなびくイギリス船です。
それとは一転して、向かって右の窓の外の空は真っ黒で海も大荒れ、そこに浮かぶ船たちは転覆しそうなほど傾いています。こちらはスペインの船なのですが、スペイン海軍は当時「無敵艦隊」(アルマダ)と謳われるほどのヨーロッパ最強軍事部隊でした。何故ならこの時のスペインは、国王フェリペ2世(1527年~1598年)のもと、隣国ポルトガルをその海外領土ごと併合(1580年)し、ヨーロッパやアメリカ、アジア、アフリカにまたがる広大な領土を所有する「太陽の沈まぬ国」――“いつでもその領土のどこかに太陽が昇っている”といわれるほどの黄金期を迎えていたため、潤沢な軍事資金を用意することができたのです。
1588年、そんな超大国スペイン率いる無敵艦隊が、イギリスへ侵攻するために出港したという一報がエリザベス1世のもとに届きます。船や兵士の数、物資の豊富さ、海戦の経験値……どれを取っても小国イギリスが勝る要素はひとつもありません。はっきり言って大ピンチです。
しかしながら、フェリペ2世も理由なく出撃命令を出したわけではありません。スペインがイギリスに侵攻してきた理由としては、以下の三点が主なものとして挙げられます。
①カトリック(スペイン)VSプロテスタント(イギリス)――宗教戦争としての側面
イギリスはエリザベス1世の父親・ヘンリ8世の時代に西ヨーロッパの宗教界を取り仕切っていたローマ=カトリック教会から離脱し、「イギリス国教会」という独自の宗派を成立させ、これを国教としました。一方、スペインは敬虔なカトリック国家であり、ローマ=カトリック教会のトップであるローマ教皇からも頼りにされている存在であり、イギリスの勝手な行動を見過ごすことはできませんでした。今回の侵攻は、スペインにとって“異端”の国であるイギリスを“正す”ための、“正統な戦い”というわけです。
ただし、これは「スペイン(カトリック)の立場」からの見方。イギリスをはじめとするプロテスタント諸国(ルター派、カルヴァン派)などからすればその構図は逆転します。自らを「新教(プロテスタント)」と称した彼らは、腐敗した「旧教(カトリック)」を“正す”ために各地で宗教改革運動を起こしました。
少し話は逸れますが、このカトリックとプロテスタントの対立から、「正しさ」や「善悪」という概念は自分がどの立場にいるか、どの立場から相手を見るかによって変わってしまうものである、ということが見えてくるのではないでしょうか。過去の事実を通してこうした倫理的、哲学的な思考を獲得することもできる……歴史学って本当に奥深い!
②オランダ独立戦争へのイギリスの介入
当時、スペインの領土であった「ネーデルラント地域」(現在のオランダ・ベルギーを中心とする地域)ではプロテスタント(新教徒)が多く、カトリックを強制するスペインに対して独立戦争を起こしていました。同じプロテスタントであるイギリスはネーデルラント側に加担したため、フェリペ2世の怒りを買うことになりました。
③スペインの海外領土などにおけるイギリスの海賊(私掠)行為
エリザベス1世は船乗りのドレーク(1540年頃~1596年)らが率いる民間船(いわゆる海賊船のようなもの)がスペインの植民地や船に対して略奪行為を行なうことを許可し、それによってスペインの国力をじわじわと削いでいく、という国家戦略を実行しました。
一国の王が海賊行為を許可するなどとんでもないことですが、イギリス側からすればそうまでしないとスペイン相手に海洋国家として渡り合えなかった、ということです。しかしながら、道義に反するこのイギリスの行動は、スペインに侵攻を決断させる大きな要因となりました。
さて、そんな両者の一騎打ちですが、侵攻中のスペイン海軍に不利な条件が多々発生し、結果としてはイギリスの勝利に終わります。つまり、あの穏やかな海のイギリス船と荒れ狂う海のスペイン船が描かれた左右の窓の対比は、小国イギリスが超大国スペインに勝利したことを示しているわけです。まさにジャイアント・キリング。エリザベス1世も意気揚々と地球儀に手を置きたくなりますよね。
無論、あくまでもこれは両国の、長年の対立の中での一勝にすぎず、この勝利によってイギリスがスペインを倒したわけではありません。しかし、スペインを「ジャイアント・キリング」したことによって、これまでイギリスを西の果ての田舎国家、か弱い女王が率いる小国だと考えていた諸外国は、その認識を大きく改めることになりました。
そしてこれに続く17世紀、イギリスは新たな海洋国家として強国への道を歩み始めることになるのです。
2020年1月、ついにEU(欧州連合)から離脱し、今後の国際的な立ち位置が気になるイギリス。今回のエリザベス1世の肖像画を読み解いていくと、宗教や国家政策など、イギリスという国がこの頃から他のヨーロッパ諸国とはやや毛色の異なる独自路線に舵を切っていたことが窺い知れます。もしかしたら、むしろEUに加わっていたこれまでのほうが、孤立主義的な傾向のあるイギリスの歴史からすると異例の立ち位置だった……と考えられるかもしれませんね。
【History Keyword】
エリザベス1世 フェリペ2世 無敵艦隊 アルマダの海戦 大航海時代 カトリックVSプロテスタント
【+Point】
この絵が描かれた頃(1588年)の日本は……「安土桃山時代」(1573年~1603年)
- 室町幕府滅亡(1573年)
- 本能寺の変(1582年)
- 豊臣秀吉によるバテレン追放令(1587年)
(※これによって追放されたイエズス会は「カトリック」の修道会。プロテスタントの勢い(宗教改革)に押されたカトリック側は、対抗宗教改革の一環として新たな信者を獲得するため世界各地に宣教師を派遣しました)
- 刀狩り(1588年)
【今回の作品】
(ⅰ)《イングランド女王エリザベス1世の肖像(アルマダの肖像画)》
制作者不明、1588年頃、油彩・パネル、Woburn Abbey所蔵
(ⅱ)《スペイン王 フェリペ2世の肖像》
アントニス・モル、1554年頃、油彩・パネル、ブダペスト国立西洋美術館
Kao
校閲士・美術史修士。大学在学時に旅行したイタリアでアートに魅せられ、独学で美術史を勉強し大学院に入学、修士号を取得。
趣味はアート、歴史、ファッション。