【旅】醤油のはじまり・和歌山県湯浅
都会での忙しい毎日に疲れたら、ふらっと旅に出てリフレッシュしてみませんか?
シリーズ『町旅』は、そんなあなたを癒してくれたり、
改めて日本の魅力を再発見できる「ニッポンの旅」をご提案します。
日本人の食生活に欠かせない調味料といえば、お醤油。
そのルーツは鎌倉時代、禅僧「覚心(かくしん)」が中国より製法を持ち帰った「径山時味噌(きんざんじみそ:のちの「金山寺味噌」)」で、この味噌から分離してできる “たまり汁” に紀州湯浅の人が改良を重ねたのが、お醤油のはじまりなんだそうです。(※諸説あり)
今回の旅は、そんな「お醤油発祥の地」
和歌山県有田郡湯浅町をご紹介します。
『「最初の一滴」醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅』の物語が2017年4月に日本遺産に認定された湯浅町へは、
「新大阪」からJR紀勢本線・特急くろしおに乗って約1時間30分。
たどり着いた「湯浅駅」はウェルカムな感じで、なんだかほっこりします♪
駅のすぐ近くには「文平」の像。
文平って誰やねんと思いきや、これ、江戸時代前期の豪商「紀伊國屋文左衛門」の幼名なんですって。
寛文9(1669)年の頃に湯浅町で生まれた彼は、紀州で商人の修行を積みました。
そして20代のころ、その商才が開花します。
栽培が盛んな紀州では安価だったミカンが、風波によって航路が途絶えてしまったせいで、江戸では入手困難になり価格も高騰しました。
そこに目を付けた彼は、「その差額で儲けよう」とたくさんのミカンを舟に積んで嵐の中で出航し、江戸に進出したのです。
こうして文平は莫大な富を手にしたそうで、この像はその江戸へ向かった「ミカン舟」を象ったものなんだそうです。
町に降りて歩くとすぐに、趣のある住宅がたくさん見えてきます。
町の南北には、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる「熊野古道」が通ります。
参拝が盛んだった平安時代から、幅は3~4m、地下には排水溝もあったという街道で、湯浅はその宿場町として大変栄えたそうですよ。
時間が許せば、そんな熊野古道を散策して、古の旅人気分を味わうのもいいかもしれませんね。
(モデルコースなど詳しくは、湯浅町役場公式ホームページへ↓)
熊野御幸の宿泊所「深専寺」
その熊野古道には、「深専寺(じんせんじ)」というお寺があります。
この門前には江戸時代、1854年(嘉永7年)の「安政南海大地震」で起こった大津波の教訓を伝える石碑『大地震津波心得の記碑』があります。
「安政南海大地震」はマグニチュード8.4と推測される大変大きなもので、湯浅でも津波でたくさんの人が亡くなったといいます。
そこで地震から2年後に住職が、被害状況やもしものときの心構え、避難経路などを彫って残したものがこの石碑なんだそうですよ。
そして中へ入ると……
境内はとてもきれいに管理されていて、県の文化財にも指定される荘厳な本堂を拝観することができます。
また、本堂の屋根には1.8mの巨大なしゃちほこが立ち、目を惹きます。
さらに、枯山水の庭が美しい!!!
平安時代末期から「熊野御幸(くまのごこう)」(上皇や女院の熊野詣)が盛んになり、この深専寺はその際の宿泊所になったとも伝えられます。
それから、このお寺の墓地にはかつて「ホルトノキ」という巨木があったそうで……
それを見て、あの平賀源内が「ホルト(=ポルトガル)の木」、つまり「ポルトガル由来のオリーブの木だ!」と誤解したんだとか(平賀源内の著作「物類品隲」より)。でも残念ながら枯れてしまい、現存はしていないみたいです。
湯浅伝健地区の街並み
旧市街の北西に位置する「伝統的建造物群保存地区(伝健地区)」に到着。
北町、鍛冶町、中町、濱町を中心とする醤油の醸造業が盛んだった一帯で、東西に約400m、南北に約280mという約6.3ヘクタールの広さを誇ります。白壁の土蔵や格子戸など、伝統的な建築物と昔の街並みが広がります。
1804~1818年の江戸時代・文化年間には、わずか1000戸しかないこの湯浅に、なんと92軒も醤油屋があったというから驚きですよね。
そんな湯浅町には、こんな路地がたくさん。これらは『小路(しょうじ)』と呼ばれ、互い違いに街中を走ります。当時の地割が残っているのが伝健地区の特徴です。
また、灰色の漆喰壁と白い小窓の美しいコントラストは見ていて気持ちが良くなります。
ひさしの軒先に下げられている木製の板は『幕板(まくいた)』といって、雨水や霧状になった雨粒が屋内に吹き込むのを防ぐためのものなんだそう。
この一帯は雨も多いのですが被害は軽いそうで、先人たちの知恵が現在も生きているんですね。
老舗醤油醸造蔵『角長』
こちらは1841年(天保12年)創業の『角長』。
750有余年にわたって受け継がれる「湯浅たまり」という製法をかたくなに守り続ける、老舗の手作り醤油醸造蔵です。
現在でも角長の仕込みは機械に頼らず、寒い時期だけ。火入れには松材の薪を使い、和窯で半日かけてじっくり炊き上げます。また、天保年間から170年近く吉野杉の木桶を使い、その蔵の天井や梁に付着した「酵母」が醤油を発酵させることでオンリーワンの味を作りあげているのです。
地元で知らない人はいないというたこ焼き屋さん「大黒屋」でもこの角長の『濁り醤(にごりびしお)』を使用しているそうで、
やさしくてコクのあるたこ焼きの味が気に入った記者も、お土産用に購入しました(笑)
角長の向かいには、資料館『角長醤油職人蔵』。
もともとは慶応2年(1866年)に建った80平方メートルの仕込蔵だそうで、古の職人たちの熱い息吹を現代(いま)も感じさせます。
中には醤油の商いで使われた台帳やポスターなどもズラリ。
さらに醤油製造に使用された器具も展示。
大きな『足踏み小麦ひき割機』(写真)には圧倒されます。
新しい建物の別館「醤油資料館」にはジオラマやパネルも展示されていて、醤油づくりをやさしく学ぶことができます。
立石道標・大仙堀で愉しむ湯浅の夕暮れ
外へ出ると、そろそろ夕暮れも近くなってきたようですね。
湯浅町には角長のほかにも(伝建地区外になりますが)「小原久吉商店」や
「湯浅醤油有限会社(丸新本家グループ)」などの老舗の醤油醸造元もあるんだそう。
「湯浅醤油有限会社」では『九曜蔵(くようぐら)』と名付けられた蔵を見学することもでき、「櫂入れ体験」や「マイ醤油作り体験」もできるんですって。
次の機会にはそちらにも行ってみたいですね♪
湯浅の中心には1838年(天保9年)の建立の「立石道標(たていしどうひょう)」があります。
高さ2.38メートルと熊野古道の中で一番大きなものだそうで、この写真で見ると側面になる北面には「すぐ(=まっすぐ)熊野道」、東面には「きみゐでら(紀三井寺)」、そして南面には「いせかうや(伊勢高野)道」と刻まれています。
この標識の元で道中の安全を祈って護摩を焚いたんだそうで、ライトアップされると尊さが増す気がします。
ここからちょっと歩くと夕暮れの「大仙堀」が見られます。
これも湯浅町の代表的な景観です。
水面に映る建物や夕日が美しくて、思わずうっとり。
大仙堀の向かいを流れる山田川。
湯浅の魅力は街並みのみならず、このような風景も楽しめることですよね。
美しい湯浅の夕暮れの余韻に浸りながら、帰路へ。
今夜はたっぷり
お醤油のありがたみを感じなきゃいけませんね。
※この現地取材は2019年に行われました。
●執筆
ライター。俳優や放送作家、ラジオパーソナリティ(かわさきFM『平成POPオヤジーズ』放送中)としても活動。
●撮影
「町旅」班
日本の古くからの魅力的な町並みや、文化・歴史・風土まで立体的に町の魅力を紹介する「ダンク」内チーム。