【旅】東京観光の代名詞といえば、やっぱり浅草でしょ!
都会での忙しい毎日に疲れたら、ふらっと旅に出てリフレッシュしてみませんか?
シリーズ『町旅』は、そんなあなたを癒してくれたり、
改めて日本の魅力を再発見できる「ニッポンの旅」をご提案します。
最近話題を集めているNetflixオリジナル映画『浅草キッド』。
あのビートたけしさんの下積み時代のお話です。
その舞台となっているのが、東京・浅草。
日本を代表する観光スポットの1つでもあります。
trip noteのサイトで行われた調査『【2020年版】みんなが行った国内の人気観光スポットランキングTOP50!』でも、京都の清水寺に次いで第2位に輝く人気ぶり。
コロナのせいで外国人観光客が少ないのは残念ですが、それでも街は江戸っ子の活気にあふれています。
今回はそんな、ちょっと元気をもらえる浅草をご紹介します。
浅草を象徴するランドマークの1つが東武線の駅前に建つ、こちらの「神谷バー」です。
「デンキブラン」で有名なこのバーは、日本のバー文化創生記に生まれた老舗店。
台東区浅草1丁目1番1号という番地の数字でも縁起の良さを感じさせるこのビル(1921年竣工)は、国の登録有形文化財にもなっています。
そんなレトロな雰囲気とは対照的なのが、未来型の形状をした観光汽船「ホタルナ」。
漫画家・松本零士先生がデザインしたその姿は、宇宙船を思わせます。
隅田川の川辺にでて、東京スカイツリーとホタルナが同時に視野に入れば「下町の浅草」とはべつの、未来の顔が覗けますよ。
・・・という感じで始まった浅草ぶらりさんぽ。
まず向かったのは、浅草のシンボル「雷門」です。
なによりも目立つこの大きな提灯は、見た目よりはるかに重い700kgというから驚きですよね。
提灯の反対側には「風雷神門」の正式名が刻まれています。
そんな雷門をくぐって、仲見世通りへ行ってみましょう。
ここはまるで一年中がハレの日の祝祭空間。
歩くだけで気分が高揚し、元気が出てくる———そんないつ来ても賑やかな場所です。
仲見世商店街を抜けた先、突き当たりには宝蔵門(ほうぞうもん)が。
都の有形文化財にも指定される絵巻物『浅草寺縁起』(応永縁起)によると、こちらは平安時代の天慶5年(942年)の建立。もとは仁王門と呼ばれていました。
これまで火事による焼失と再建を繰り返し、3代目将軍・徳川家光の時代(1649年)に再建された木造のものが(戦災に遭って焼失する1945年までの間)最も長くありました。
この宝蔵門をくぐって、浅草寺の本堂で参拝します。
なんと境内の様子はライブ配信されているとのことで、
下のリンクカードをクリックすると、YouTubeから現在の様子を見ることができます。
混雑状況などがわかって便利ですね!
さて、本堂の参拝も終わったら、ちょっとお隣も。
そこには「三社様」と呼ばれ、三社祭でも有名な「浅草神社」があります。
社殿は1649年に徳川家光により再建されたものが、度重なる火災や戦争、関東大震災などの被害を免れて現存しています。
貴重なことから、国の重要文化財にも指定されています。
帰りはぶらっとしましょうか。
向かうは浅草の東西約300mに延びる「伝法院(でんぼういん)通り」。
この通りは他の通りとは一線を画す趣向が凝らされています。
江戸の町並みを模した情緒あふれる商店街には、江戸切子やつげ櫛などの匠の技を誇る店が並びます。
それ以外にも、さまざまな発見と遊びに満ちた通りです。
そしてたどり着いたのは、
安政元年(1854年)創業の甘味処の老舗「梅園」。
参拝客は言うまでもなく落語家や文化人にも長く愛されてきたお店です。
この店の名物は「あわぜんざい」というものなんですが・・・
こちらがその、餅きびを半つきして煉り、蒸した餅と、じっくり炊いたこしあんを椀で合わせた「あわぜんざい」。
食べてみると、餅きびの多少の渋みと、あんの甘味、香りの微妙なバランスが癖になる・・・!
リピーターが増えるのも納得です。
そして浅草と言ったらこちらもハズせない「浅草演芸ホール」は、鈴本演芸場(上野)、新宿末廣亭、池袋演芸場とならぶ、東京の「落語定席」の1つ。
昭和39年(1964年)のオープン以来、落語のほかにも「いろもの」と呼ばれる漫才、漫談、コント、マジック、紙切り、曲芸、ものまねなどが楽しめ、遠方からここを目当てに訪れる人もいます。
また、この浅草演芸ホールの隣にあるのが「東洋館」。
もともとは「浅草フランス座」として昭和26年(1951年)に開業。
そう、こちらがビートたけしさんが修行していた劇場なんですね。
現在は、都内で唯一の「いろもの専門劇場」として毎日笑いを届けています。
そしてこちらによく出演されているのが、漫才コンビ「ナイツ」のお二人なんですよ。
続いては『日本最古のゆうえんち』のコピーで知られる「浅草花やしき」へ。
開園は、なんとペリー黒船来航の年と同じ(!)1853年(嘉永6年)。
最初は腕利きの造園師が手がけた牡丹や菊を鑑賞する「花屋敷」としてスタートし、明治に入って遊具施設が置かれ今に至るそう。
花やしきは外国人にも大人気。理由はやはり、ここだけでしか味わえない独特の魅力や雰囲気があるためでしょうか?
遊園地といえば、ふつうは明るくはつらつとした雰囲気をイメージするものですが、
どこまでも澄み渡るような青空とまぶしい陽光の下、不気味に笑っているようなスワンと目があった瞬間に、
花やしきの魅力はそれだけではないことに気づきました・・・!
それは、花やしきだからこそ醸し出せるノスタルジックなムード。
また、江戸川乱歩の作品に出てきそうな、アヤしい魅力も漂います。
さらに屋内の施設へ向かう渡り廊下には、いい意味でキッチュな魅力があふれる展示物もたくさん並びます。
花やしきの園内に使われる色彩もどこか昭和を感じさせ、新しさと古さの両方が融合する不思議な空間です。
ベテラン世代には懐かしく、若い世代には一周回った新しさを感じさせます。
花やしきの公式サイトを覗いてみると、かなりの「自虐ネタ」を使用して、園の魅力をアピールしています。
例えばローラーコースターの説明文では、
『最高時速たったの42km/h!落したボルトは数知れず(←ウソ)
昭和28年に生れた日本現存最古のコースターも60歳を超えました!』・・・なんて具合に。
あえて「古さ」や「チープさ」などを狙って、他の遊園地との差別化を仕掛けているようです。
こうしたところも花やしきの魅力の1つなのではないでしょうか。
そして屋上へ出ると、またもアヤしい謎の銅像が・・・!!!!
最初はタモリさんの像か?と見間違えたのですが、こちらは山田貞一さんという方の像。
なんでも、1853年(嘉永6年)に植物園としてスタートした花やしきは、動物園や子供向けの娯楽場、遊戯場などとリニューアルを重ねて、戦後は遊園地として復活。
その花やしき再建を仕掛けた立役者が、こちらの山田貞一さんなんだそう。
彼は海外のローラーコースターを雑誌で見かけ、それをなんと想像で補いながら設計・・・!
そして1953年(昭和28年)に日本初の国産ローラーコースターを花やしきに作ったという、ものスゴい人物なのです。
・・・コントの時に芸人さんがやる「なりきり銅像」かと思ってしまってスミマセン。
勉強しなおします。
花やしきをたっぷり堪能したあとは、老舗や伝統ある名店がズラリと名を連ねる「浅草うまいもの会ガイドブック」を見ながら店探し。
とくに夜だと高くて庶民には手が出ない「今半」などは、ランチが狙い目です。
傑作の呼び声高い「明治すきやき丼」が売り切れだったために、
代わりに頼んだ「二段重」だったのですが・・・
どーーーん!!!
なんと、百年牛丼とステーキ丼がいっぺんに!
しかもどちらも美味しいっ!!と声をあげそうになりました。
またお食事ならこちらもオススメ。
昭和12年(1937年)から続くお好み焼き屋の老舗「染太郎」は、今やすっかり浅草の定番観光スポット。
外国の方が並ぶ姿まで見かけるようになりました。
以前には、江戸川乱歩や、開高健、野坂昭如などの作家たち、また勝新太郎、渥美清などの昭和を代表する俳優たちも来店したそうです。
浅草の長い歴史に思いをはせつつ、お腹も満たされるなんて、極上の体験ですよね。
(※編集部注:この現地取材は2016年に行われました)
※編集部注:記事内で紹介したスポットは現在、ウィルスの影響で営業時間の変更や休業されている場合がございます。
お出かけ前に必ず、施設の公式サイトなどでご確認ください。