アメリカで映画監督になる! 堺三保さんに訊く夢をかなえるための第一歩!【前編】
41歳の決意、チャレンジ!
映画監督になるためにアメリカの大学へ留学!
2018年夏、クラウドファンディングMOTION GALLERYでひとつのプロジェクトが注目を浴びました。それは、短編SF映画『オービタル・クリスマス』~聖夜を祝う全ての人に~制作プロジェクト。6月30日にスタートし、開始12時間で580万円、8月31日の終了時点では総支援額2,182万円となり、このプロジェクトは動き出しました。
今回お話を伺うのは、この作品の監督・堺三保さん。全編英語(日本語吹替版もあります)・全編アメリカで撮影されたこの作品で監督デビューを果たしました。
そして2021年2月、完成された作品のBlu-ray&DVDがリターンとして各出資者(コレクター)の手元へと届いたのです。
この支援金額の大きさは、コレクターから堺さんへの期待や夢や希望の大きさといえます。そこで堺さんに映画監督という夢への挑戦と、この作品の完成に至るまでの道のりを伺おうと思いました。
すると、映画監督デビューに至るまでに41歳でアメリカの大学に行くことを決意し、43歳での入学、そこから3年半のアメリカでの留学があったのでした。40歳を超えてのチャレンジです。
【プロフィール】
堺三保(さかい・みつやす)1963年大阪生まれ
作家/脚本家/翻訳家/レビュアー/SF設定。2021年2月『オービタル・クリスマス』で監督デビュー。そして、デジタルハリウッド大学講師に就任するなど多岐に渡り活躍中。
【主な作品】
脚本
『オービタル・クリスマス』(短編) (2021)
『ISLAND』 東京MX他/feel. (2018)
『ギャラクシーエンジェル』 TV大阪/マッドハウス (2003)
『無敵王トライゼノン』 TBS/イージーフィルム (2000 – 01)
ストーリー・スーパーバイザー
『ニンジャバットマン』 (2018) ワーナージャパン/ライデンフィルム
『DCスーパーヒーローズvs鷹の爪団』 (2017) ワーナージャパン/DLE
Twitter
https://twitter.com/Sakai_Sampo
note
https://note.com/sakaisampo
監督になりたい!
映画を勉強するためにアメリカに留学する!
ーー堺監督!完成おめでとうございます!ハートウォーミングな作品でとてもよかったです。
まずはアニメの仕事がメインとなっていた堺さんが映画監督になろうと思った経緯についてお聞かせください。
アニメの仕事をやっていたとき、忘れもしない2003年の春。
打ち合わせ中に、「堺さん、ここ暑い?ものすごい汗だよ」と言われて。
「最近調子悪いんだよねー」と話をして額をぬぐうとべったり汗で。翌日病院に行ったら、糖尿病で即入院1か月。ついでに心臓の手術もやってしまいましょうと、また1か月。
この入院中の2か月間、この先どうするかをずっと考えていて。人生の残りの時間を意識したんです。作品を自分で監督したいなあって欲が出たんですよ。一番やりたいことを一から勉強してやろうと。ただし、アニメの場合は(僕は)絵が描けないんで、絵コンテができないと無理というのはわかっていたのと、もともと実写が好きだったので。
どうせ映画制作の勉強をするなら一番えらいところに行ってやろうと思って。
2003年秋にUSC(南カリフォルニア大学 University of Southern California=以下USC)を受けたんですね。その時にはころっと落ちて。翌年2回目を受けてもダメで。次出してダメだったらという3回目は、仕事で縁のあったスタン・ウィンストン(『ターミネーター』や『ジュラシック・パーク』などの特撮を手掛けたSFXアーティスト)とディズニーの脚本家に推薦状を書いてもらったら補欠で合格して。推薦状がめちゃくちゃ効いたんですね。
でも、入学してから聞いた話だと、サマースクール(誰でも入れるコース)でがんばって良い短編を作って、そこで先生に推薦状を書いてもらうとだいたい通るんですって。中に入って知るという(笑)。今はどうかわかりませんよ(笑)。
ーー2007年1月に入学されたわけですよね。
43歳のときですね。もっとも、在学中に2回ドロップアウトしかけてますけど(笑)。
ーー映画学校のトップともいえる大学ですよね。
歴史があって有名な監督などを輩出してますから。
ロバート・ゼメキス(『バック・トゥ・ザ・フューチャー』などの監督)がモーション・キャプチャーを教えに来ていたり。ヒュー・ヘフナー(雑誌『プレイボーイ』を発刊者)が表現の自由の講義をしに来ていたり。絶対ふたりプレイメイト(『プレイボーイ』の女性モデル)が付いているんですよ。介護みたいなんですけどね(笑)。
日本映画がアメリカでプレミア(ワールドプレミア。宣伝で主演や監督などを招待した上映)の時には、学内の映画館でやるんですけど『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』の時には校内を歩いている樋口真嗣監督に偶然会ったり。
ーー海外の映画やドラマが好きなんですよね。
僕らの世代はテレビは海外映画と海外ドラマで育ってますから。やっぱり向こうのモノが基本なんですよ。
80年代に深夜に海外ドラマをやっていて。『ポリス・ストーリー』『ヒルストリート・ブルース』『特捜班CI-5』などなど……。僕は関西だったからというのはあるかもしれませんね。関西は深夜に海外ドラマの放送が関東よりも多かったようなんです。
しかも80年代って海外ドラマの第2黄金期って言われていて、リアル志向なんですよ。その後に『ER緊急救命室』とかでどーんと大ヒットが来るんですけど。
80年代後半から90年代にネットで知り合った海外の友人とビデオの交換をしてました。観たい海外ドラマのビデオを送ってもらって、日本からはアニメのビデオを送るという。
ーー聞けば英語は中学高校と赤点だったとか。英語はどこで身につけたのでしょう。
テレビドラマでリスニングはなんとかなって。読む方は大学時代からアメコミを買って読んでましたから。読むのも聞くのも独学なんですよ。(さらっと)
海外SF研究会というサークルでは原書で長編をばりばり読んで翻訳している人ばかりでしたからね。人間は環境に左右されるってことで。
USC留学での講義、そしてクラスメイト。
ーー実際にUSCではどうでしたか。
最初の半年間、英語で話していることはわかっていても返事がぱっとできないんですよ。結構大変でしたね。
あと、映画制作って一人でできないんですよ。カメラ、照明、音声とそれぞれ必要で。
最初は1分でなんでも撮ってこい。次に3分で作れ。ところが最初は友達も知り合いもいないから、スタッフがなかなか集まらない。なのに、それを毎月1本出せ。3本出したら、4本目はチームで。
更に2学期目は誰かと二人で組まないとならない。二人でカメラと監督を交互に、16ミリフィルムで短編を撮るんです。
組む相手も自分で探す。クラスメイトの数は本当は偶数いるんだけど、ドロップアウトもいるし、上から落ちてくる奴もいるので、奇数になってしまうことがある。
でも組む相手を探すのもコミュニケーションの一環。
さすがに最近このシステムはやめたらしく、チーム分けは学校側で決めますってことになりましたが。
ーー相当しごかれる感じですね。
面白いのは、最初にこの講習は必ず受けておきなさいねと言われたオーディションのやり方。
役者さんは、オーディションで決めるので。まず、プロか演劇学部の役者から、ネットで公募する。
そして会場に長机があって、プロデューサー、監督が並んで座っているオーディションは、絶対にするな、と。
役者の良い状況を観てあげなければならない。リラックスさせなければならない。
できるだけ役者の近くで見なさい。カメラも正面からではなく、工夫して置きなさい。もしも相手役が必要ならば誰かを連れてきなさい、と。
そして、もっと暗い感じで、声のトーンを変えてなど数パターンをさせて役者の幅を見なさい。
さらに、イエスマンは使うなと。
相手に認めてもらおうとする人は芝居がどんどんダメになっていくから。
応募があっても当日必ず来るわけではないんですよ。
10人応募があって5人選んでも、来るのは1人か2人だからって。
ただし学生映画でも、「とにかく役が欲しい人」「暇を持て余している人」「何か今までと違う役が欲しい人」は絶対来るんですよ。
USCはネームバリューがあるから。
5分や10分の短編でもメインの役であれば、その人の宣材になるんですね。
あと、(素人目にも)わかりやすい高級そうなカメラを置いておくと、(役者の)やる気が変わるから。はったりは大事です。
2年目からはやっと台詞つきの映画を撮らせてもらえるんです。そこでADをやって、二度と(ADは)やらないと思った(笑)。
撮影許可書、その保険、撮影場所許可書、その保険、撮影計画書、香盤表など。
映画を作るのは半分書類仕事だねって(笑)。
授業は月火水に固まっているんですよ。金土日で撮影に行ってこいと。金曜の夕方に映画会社も使っている街の機材屋に行くと、機材が安く借りられるんですよ。大学の書類を出すとディスカウントされて。
ーークラスメイトはどうでしたか。
春と秋で新入学するのは50人ずつ。僕らの年にドロップアウトしたのは、3人しかいなかったんじゃないかな。残った47人はみんな仲良くて。
3年だと300人のはずなんだけど、全学年で常に400人から450人くらいいる。つまり、3年で卒業するようにはできていないんですよ。みんな、いい映画かシナリオが作れるまで学校に居座ってます。
ーー同期のその後はどんな感じですか。
クラスには日本人が僕ともうひとり。その日本人が『37セカンズ』のHIKARI監督です。彼女は高校の時からアメリカにいて、ずっとアメリカに住んでます。ハリウッドメジャーに最も近い。『37セカンズ』で大手映画会社と契約を結んだと聞くし。
あと、英語の発音が苦手なベトナムから来たファン・リン。苦学生でお金なくてね。よく一緒に映画を観に行ったけど、帰国したら監督になって、ベトナムの『怪しい彼女』リメイク版で大ヒットをとばしちゃった。
※『怪しい彼女』大ヒット韓国映画で、日本、中国、ベトナムでリメイク版が製作された。
1年下にライアン・クーグラーがいました。『クリード』『ブラックパンサー』の監督です。
僕は2年3年のときに、MACが100台くらいある地下の編集室でバイトをしていたんですけど、僕もそこでライアン・クーグラーと会っていたかもしれない(笑)。
ーー本当に映画の名門中の名門というのが伝わってきます。卒業するのも大変だったかと。
やっと卒業できたのはクラスメイトのおかげなんで。ありがたいなって思います。
半分以上は20歳くらい年下。今でもFACEBOOKとかでつながっています。
ーー卒業した後はどうしていたんですか?
卒業した後、3年くらいアメリカで仕事を探して、100件くらい(経歴書などを)送ったけど、連絡来たのは3件、面接が2件くらい。どこも採用されなくて日本に戻ってきました。
その後、アニメの仕事が入って久しぶりに東京に舞い戻ったのが6年前。
そして、2018年にMOTION GALLERYの社長を紹介してもらったのがきっかけで、クラウドファンディングをスタートさせました。
こうしてクラウドファンディングで資金調達した堺さんは短編映画『オービタル・クリスマス』で監督デビューを果たす。
つづく後編では、アメリカでの撮影時の話やこれからについてお話を伺っていきます。
堺三保さんのUSC留学日記は、電子書籍としてamazonなどで発売中!
【合本版】ルーカスの後輩になる! ~堺三保留学日記~ 全6巻セット (BOOK☆WALKER セレクト) Kindle版
もうひとつの『オービタル・クリスマス』
声優であり小説家デビューした池澤春奈さんによるノベライズ版はこちら
「銀の匙」舞台のような畜産専攻大学を卒業後方向転換、出版業界の片隅を振り出しに、平成のおたく系出版社・編プロ・webマガジンなど紆余曲折を経て、令和を生きる編集・ライター。人物・イベント・旅行など取材。今行きたいところは台湾だけど、いつ行けるのかなー。
(イラスト/近藤ゆたか)
m.c.
ビジネスネタはおまかせ!の”理論派校正女子”。仕事やライフスタイルに「少し役立つ」多彩な記事をリリースしていきます。
(イラスト/直井武史)
イラスト/コラム 近藤 ゆたか(こんどう ゆたか)
1964年東京の下町「玉の井」生まれ。
イラストレーター、漫画家、時代劇アジテーターとして活動。
現在、長年イラストを担当する『空想科学読本』が、全国の希望された高校の図書館への配信で連載中。それらを新たにまとめ直した電子書籍版も発売中。
またCS放送・時代劇専門チャンネルの番組案内『時代劇専門チャンネルガイド』でイラストコラムを連載中。